【日本史B】飛鳥時代の飛鳥文化と白鳳文化について!
こんにちは
今回は、飛鳥文化と白鳳文化について簡単に紹介していきたいと思います。
1. 飛鳥文化とは
飛鳥文化とは、7世紀に王族や蘇我氏によって広められた仏教中心の文化です。また、渡来人の影響も受けました。中国の南北朝時代の文化や朝鮮半島の高句麗、百済、そして、当時の西アジアやインド、ギリシャにもつながっている特徴もあります。
また、寺院では
代表的な彫刻では
他には
また、この時期に百済の僧である観勒が暦法、高句麗の曇徴が彩色や紙・墨の技術を伝えました。←色を塗ったところは試験によく出ます。
2. 白鳳文化とは
次に白鳳文化です。白鳳文化は、飛鳥文化に続き、7世紀後半から8世紀の平城京遷都に至るまでの文化です。天武天皇や、持統天皇の頃に盛んになりました。
特徴としては、初唐文化が特徴で、仏教を基調としています。
694年には、飛鳥の地から、藤原京へと遷都しました。
豪族たちは中国の教養を受け、漢詩文をつくるようになりました。和歌の形式も整いました。また、漢字文化や儒教思想も地方豪族に広がりました。
主な寺院・建築・仏像
薬師寺←天武天皇が皇后の病気平癒を願い発願 のちに平城京へ移される
薬師寺東塔←730年ごろにつくられた。白鳳様式を伝える。三重塔の各層に裳階(もこし)
興福寺仏頭←頭だけ残っている。像は蘇我倉山田石川麻呂の霊を弔うために作られた。
高松塚古墳壁画←インドや西域の影響
法隆寺金堂壁画←中国や朝鮮の影響